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ひとりごとをこっそり綴る、わたしのためだけに。
わたしは自己犠牲せずに生きる(仕事する)方法をずーっと、知らなかった。
でも今は、たぶん、もう大丈夫だとおもう。
まあでも、自己犠牲が微塵もない人なんてほぼいないと思うんで、そこはみんな気をつけてほしい。
けど、今のところは、自己犠牲してた自分に対する怒りがまだあるから、もしかすると自己犠牲してしまう人を呼んでしまう余地はあるのかもしれない。
全部観てほしい、全部変えてほしいって願いが、本当に怖い。
そこに絡み取られそうになる恐怖がある。エネルギーを奪われまくってたからね、本当に。いろんな人に吸われたなあああ。これも、根っこはレイラちゃんの懺悔なんだろうなあ。
わたしが全部やらなくちゃいけないって思ってしまう。
そうしないと愛されないって思ってしまうから。
でも今のわたしのそれは、全て母への投影だ。
全部観てほしい、変えてほしいのところは、母だと、全部思い通りに生きてほしいになってるんだろうなあ。
でも、母からしたら、わたしほど思い通りにいかない子供はいなかっただろうなああ。
母が死んだ直後に、「あの子は産まれるのが10年以上早かったから大変だったでしょう」と言われていた。
だから、お互いにきっと、大変だったのだろう。母からしたら謎の多い理解できない問題児。
でもだからと言っても、母からしたら、可愛くてたまらない愛する子供であることに変わらない。
わたしだって、愛してやまない唯一の母だったのだから。
わたしも母を心の底から愛してたから、母に喜んで欲しかった。それは愛だった。
でも、喜んでもらうのは、わたしがわたしで生きることでよかったんだなと今はわかる。
だって、生まれて初めてヒーラーとして30万円稼げた時に、一緒に泣いて喜んでくれたもん。
でも、わたしはそれをわかってなくて子供すぎて、わたしはいつも自分の本当の願いよりも、母の願いを叶えたかった。
喜んで欲しかったし、母の愛を独り占めしたかったからだ。
それほど母の愛は、心地よかった。供給してもらえる心地よい愛だった。たぶん、今わたしが本当の自分と繋がっている時の安心感と全く一緒の感覚で、それがもらえたって、相当な愛だったんだろうなとおもうのだ。
だからこそ、そこに依存してしまったのだね😢
そしてわたしはいまだに、ありのままのわたしで愛される、とは、完全には思えていないようだ。
それはとても悲しいことだ。そのままのわたしでいたら愛されない、それだけは叶わないと思っていた。
それはとても悲しいけど、こうして文字にしてみると本当におかしなことだ。
でも、こちとらそれで自分の世界が完璧に出来上がってるわけで、もうそこにどっぶり浸かっているわけで、それ以外の生き方知らないわけで。
そんでこれ以外の生き方を知らないところがまた、ここから外れたら、また拒絶される、死ねって言われる、殺される、になっていたから、怖かったんだよな〜。母の囲いを抜けたら死ぬ。矛盾しているようで、母の願い通りに生きなかったら、お前の命は保証しないよ、的な感じで思っちゃってたんでね。無自覚に。(それほど傷ついてたってこと)
マミーが聞いたらぶったまげるなwww
これが本当に高い壁すぎて、万里の長城レベルの宇宙から見えるほどの、巨大で壮大な嘘すぎて、わたしはずーっと、ここに囚われてしまったのだ。
わたしの傷はそれほど深かったのだ。
集合意識を癒す役割を持って生まれたのも、わたしの傷が深すぎたからなんじゃないかなとおもう。レイラちゃんの傷が深すぎたんだろうな。
親に死ねって言われてくらいでこんなに引き摺らないとおもうし。普通に。そら傷つくだろうけどさ。
でも、わたしはここを抜けて自分を生きるのが、本当に恐ろしかったのだ。
うーーん。まあここまで悲惨な最底辺を感じ切ろうと思う人がいないだけで、みんなそのくらいのものはあるんだと思うけどね。わたしほど長引かないと思うけど。
まあでも、わたしはこの深すぎる傷を観るのに、10年以上かかってしまったんだけど、まあ一生のトラウマと対峙するってそんなもんなのかもしれない。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、いろんなものを観ていくのであれば。本丸にぶっこむのであれば。
まあとりあえず、わたしは自己犠牲だけはもう絶対にしない。今のわたしのささやかな、でも明確な目標がそれだ。
そしてそれを決めているからこそ、これまでのお客さんに希望を言われても、それは受け入れられないなと思えばまっすぐお伝えできるようになったし、それをお伝えしたら嫌われちゃうんだろうな〜と思っても、嫌われるよりも自分を大切にすることができるようになったわけですしね。
あとは、なんかよくわからないけど観てほしいとか、特に何もないけど、メカニックやガイドに色々変えてほしい、的なことをいう人にも、自分で観てほしいことがあるまで来ないでって言えるようになった。
その気持ちはわからなくはないんだけど、依存されてるみたいでわたしがその依頼がとても苦しくなるから絶対受けないと決めている。
色々全部観た後で、最後になんか彼らからメッセージがあるならほしい、とかなら良いんだけどさ!
そんでもう、かわいそうな人に同情しない。同情するなら愛するよ。
要するに、わたしは自分に同情しまくっていたからそうやっていたわけで。
つまり、自分の力を大いにみくびっていたわけで。
そしてそれは本当に悲しいことで、わたしはそこも絶望ポイントだったな。自分を舐めまくっていたことに絶望した。
そんなこと、誰もされたくないよね。だからわたしは人にそれをしないために自分をみくびらない。決して。
わたし、まあまあできる子ですけど?って今はやっと思えるようになったかな、うん。
わたしの世界はわたしが決めて良いんだってこと。わたしの定義はわたしが決めて良いんだってこと。
だから、もうわたしの記事を読んで申し込まない人に対して、分かりやすくブログを書く必要はないんだってこと。
申し込まない人に理解してもらおうとしすぎたことも、わたしを猛烈に追い詰めたから、ブログが書けなくなったわけですしね。
知らねーよ、と。
うん。
ふふふ。
この記事、読む人いるのかなwww
ふふふ。
でも、わたしのためにこっそり記しておきたかったんだ。