ケイティって何者?そもそも何やってた人なの?
ケイティって何者?そもそも何やってた人なの?
わたしがこの仕事をしている理由は
individual harmony
な世界で生きたい!
と願っているからです。
わたしたちひとりひとりが、それぞれの個性を安心して発揮したら、世界に調和が生まれる❤️
わたしはこの世界をずっと信じていて(というか知っている感じがする)この調和の世界で生きたい!と、ずーーーーっと、子供の頃から願っています。
その1番の理由は、わたしが人と違うことが多いことが何かと面倒で、
みんなが好きなようにすれば、わたしは普通になれるし、もっと楽なのに!
とずっと思っていたからです。
だからわたしは、
人がその人自身でいることに安心して、やりたいことや伝えたいことを、自由に表現しまくれる人たちが増えたら良いな!てかそれが本来普通でしょ。
と思いながら、みなさんの心のズレを、「はい!ここあなた実はこんな風に思ってましたー!だからあなたの人生こうでしたー!」と面白おかしくお伝えしながら、楽しく仕事をしています。
このページでは、そんな想いを持つわたしが創った、ワンダーチャイルドレッスンがどうやってできたのか?
そこに至るまでの、 わたしの物語をお送りいたします。
ちょっと長い4部作♡
わたしは桂子と言う名前です。
ケイコが、なぜケイティなのかと言うと、幼馴染がある日突然
「桂子ちゃんてケイティだよね!」
と、何かに閃いたように横断歩道で叫び、周りがみんな
「うんうん、ケイティっぽい!」
となったからです。ケイティの方が親しみやすく覚えてもらいやすいかなーと思って、仕事でもケイティを名乗ることにしました。
みんな気軽に
ケイティ!
ってフレンドリーに呼んでくれるかな〜?と思いきや、なぜかみなさんケイティさんと、さん付けで呼ばれるのが、ちょっと拍子抜けするところです。笑
あなたはケイティって呼んでくれてよくてよ❤️
わたしは小さい頃からとーってもマイペースで、というかわたし独自のリズムがあって、それをズラして他に合わせるのがそこまで得意じゃかなったから、マイペースと言われたのかなと思います。
それに加えて、
わたし、やりたくないこと絶対しない!
を、人より強く貫くタイプでした。
そんなわたしは、学校の勉強も、もちろん受験勉強も、
やりたくないからやらない!
と、ほとんどやりませんでした。
そんなわたしなので、就職活動も全然耐えられなくて、途中で投げ出してしまう不始末・・・。
なかなかに、わたしは社会不適合者で、おまけに、「あなたは注意欠陥障害です。(そう、わたしはADHDなのです)」とまで言われてしまいました。
(嫌なことをしない、飽きっぽくてじっとしてられないっていう特徴なだけだと思ってるし、嫌なことしなかったら、好きなことばっかやってたら、本来はみんなそうだよね?とわたしは本気で思っとりますので、ADHDもアスペルガーも、わたしは病気とは思っとりませんえん。)
やりたくないことをしないでいると、当然学校や社会では浮いた存在になるので、いつしかわたしは無自覚に、
人と同じことが出来ないのは悪いこと、恥ずかしいこと、わたしはダメな人間、人にも、社会にも、受け入れられない人
と、いつも心のどこかの底の方で思い、わたしはそんな存在だと決めて、意識の一部ではいつも、そんなじぶんにどこか引け目を感じて、浮かないように生きていました。(明らかに浮いてたけど)
毎日学校では笑い転げていたし、社会に出てもそれなりに毎日楽しかったけど、いつも何かが満たされない。わたしの人生は、ずっとそんな日々でした。なので生きている実感も薄かったなーと思います。
そんなわたしなので、ずっと、
わたしは何の取り柄も才能もない。
当たり前にそう信じて生きて、なおかつそれを引け目に感じることもなく、それがじぶんなんだと信じて疑うことも不満に思うこともなく生きて来ました。
毎日楽しいは楽しいけど、なんとなくつまんないな〜、なんてことを意識しだした頃、わたしの周りにはアーティストの友人が多くなり、じぶんのやりたい事を表現して活躍している人ばかりになりました。
そうすると、表現出来る何かがある人たちとじぶんを比べては羨んで、
何もないわたしはつまらないし、生きている価値もないな〜
とまで思うようになってしまったのです。じぶんに価値がないということを、わたしはここへ来てようやく、はっきりと自覚し始めたのです。
ところで、わたしは就職が嫌だったのにボーナスに憧れて結局会社員になりました。
(わたしでも働けるようなゆる〜い会社でも、わたしは非常識な人だった)
でもある日、周りの友人たちに刺激されて
「わたしも何か出来たらいいな。」
と思った事と、早起きが嫌で通勤時間が無駄!ここにいたってわたしの未来はない!!と心底思ったので
「これからは家で、わたしだけの隙間産業をみつけて仕事しよう!」
と何のアテもなく会社を突然辞めてしまいました。
今思うと、なんでそんなことを思って会社を辞められたのか、とても謎。
そして会社を辞めた次の日から、3ヶ月ほど海外に遊びに行ったあと、失業保険をもらいながら
「なんかやること探さないとな〜。」
とネットサーフィンをしていた時に
✨エンジェルカードリーディング✨
という文字が目にとまりました。
「なにこれ面白そう!」
と思ったので、すぐに習いに行きました。
そして習ってみると
「これ、いつもわたしがやってることじゃん!」
と思ったんです。
わたしはいつも、この感覚を使って人の相談に乗って、なんだか知らないけど超ありがたがられてる!!
と気付きました。わたしはどうも、
人の気持ちが分かる人
のようでした。
(その感覚が当たり前で、特別と思った事はありませんでした)
「てことは、これちゃんと習ったら、まさか仕事にできる??」
という安易な考えの元、この仕事を指導をしている先生を見つけて、すぐに習いに行きました。
その先生は、わたしの感覚や能力、世界の捉え方や考え方をとても評価してくださり
「カードを使わなくても良いからすぐに仕事にしなさい。」
と言って、とある仕事を紹介してくれました。
それは、なんだか怪しい匂いのする”電話占い師”という仕事でした。笑
わたしはそんなものがこの世にあることすら全く知らなかったので、
「怪しいし、なんかちょっと抵抗ある〜。しかも、わたしごときが占い師って、とっても、猛烈に、胡散臭い!!!」
とは思いましたが
「これなら会社にいる時よりも楽に稼げる〜〜〜〜!」
と言うこれまた安易な理由で、電話占いをすることにしました。
でも、
「電話占い師とか恥ずかしい。友達に言えない。なんかやだ。」
とも思いながら始めてしまい、占い師のじぶんがとっても恥ずかしかったので、当然ながらお金を稼げる訳もなく…。
その結果、電話占いで得られる収入は月に4万円ほどでした。しかも、不毛な恋愛相談の多いこと…。
「なんだか、やりたいことと違うな〜〜。」
と思い、結局半年くらいで電話占い師は辞めてしまいました。
ところでわたしは、通常人が目で観えないものが観えたり、感じる能力があります。
神社に行ったら神様と話したり観えない存在(死人ではない 死人とも話せるけど得意ではない)と話したり、宇宙の叡智を教えてもらったりを、小さい頃からやってたんです。(みんなも普通にやってると思ってた)
でもどうやら、みんなは観えないし、話せないんだなと知り、その感覚を活かして、”チャネリング”と言う仕事をする事にしました。
チャネリングとは、簡単に言うと、通常観えない存在に意識の周波数を合わせて話しを聴く事です。わたしは電話占いをやる傍ら、個人でお客様にそのメッセージをお伝えする事も、仕事にし始めました。
でも、人に素晴らしいメッセージをお伝えして幸せに導くわたし自身は、全く幸せではなく…、どんよりと不幸が漂う毎日でした。
続き↓
ケイティの貧乏チャネラー時代編