ケイティ地獄のヒーラー時代編

ケイティ地獄のヒーラー時代編

そんな人生の被害者の会代表のわたしも、何とか頑張って、 20万円位の売上を行ったり来たりしていた頃、同じヒーリングをしている彼が出来ました。


ところで、わたしがセミナーを開催する時に一番面倒で憂鬱だったのは、セミナー会場を探すことでした。

そんな事情もあり、彼と一緒に広い家を借りたら、家で仕事もできて、場所代も浮く!

と言う安易な理由から(安易な理由でよく飛びつくわたくし)その彼と付き合ってすぐ、お互いをよく知りもせずに、 一緒に住む事になりました。

ところがです!!!

わたしはその彼と一緒に住むことが決まって、また稼げなくなってしまったんです。

どの位稼げなかったかと言えば、月収12,000円の月があったほどです。

12万円ではないですよ、1万2千円です!笑

あの頃はそうなった理由が、さっぱり分かりませんでしたが、何故こんな風になっていたかと言うと

「親元を離れて、自立したくないから稼がない」

と言う信念をわたしは大事に抱えていたからなんです。

なんで自立したくないかと言えば

じぶんの人生に責任を取って、1人で立つのが怖いから(プルプル)

つまりわたしは、まだまだ子供のままで、何でもやってもらいたかったし、じぶんの人生に責任を取るなんてそんな恐ろしい事はしたくない!

心の奥で、そう思っていたのです。

なんでもやって欲しい、汲み取って欲しい、察して欲しい。

わたしはじぶんを主張して行動しなくてはいけない時には、全てが受け身になりました。

わたしの母親は、わたしが考える間もないくらい早くなんでも先回りしてやってくれるほど猛烈に過保護で、わたしのことをいつまでも赤ちゃんのように可愛がりたい人でした。

なぜなら、わたしの世話をすることで、母がじぶんで気付いてない満たせていない様々な想いを埋められていたからです。

もちろん母はそれが親の愛と信じてやってくれていましたし、わたしもそれを当たり前のように受け取ってきました。

本当はわたしは心の深い部分では、母が先回りしてやってくれることよりも、じぶんの力でやりたいことがあるといつも思っていたんだと思います。

でもじぶんの意思を貫くよりも、母の埋められない想いをわたしの世話をすることで埋められるなら、わたしは愛されていると思えたし、じぶんに価値を見出せていたのです。

もちろん無自覚にそこにハマっていたので、気付いた時にはじぶんの力を母に譲って、全てを受け身にする方が楽だったし、最早じぶんで何もしなくていい安全な場所から、抜け出す事が出来なくなっていました。

もちろん今だからこんな風に理解できているのであって、当時はそんなことは全く理解せずに、流されるままここまで来たのです。

だから同棲を決めた時のわたしもこの状態でした。
彼と一緒に住むと決めたのに、稼げなくなってしまったわたしを観た彼は

「一緒に住むって決めたのに稼がないって、どーゆーこっちゃ!」

とわたしにガッカリしていました。

そして一緒に住んでからも、その態度があまり変わらないわたしに、彼はどんどん失望して行きました。

それを知りつつどうにもできないわたしは、変われないわたしが悪いんだ、じぶんが全部悪いんだと思い込み、彼に遠慮して言いたいことも言えなくなって、どんどん気を使うようになりました。

「何でこんなに仕事も家事も頑張って、彼がこの仕事ができるように応援したり、実践できるように色々助けてるのに、何一つ報われないんだろう?」

と、大好きな人と一緒に暮らせて幸せになるはずだったのに無駄に気を使って、無駄に頑張って、なに一つ報われない地獄のような日々で、わたしは1人で泣いてばかりでした。

実際はわたしの方が早くこの仕事を始めたので、毎月ちゃんと稼いでいたのはわたしだけだったんですが(彼は退職したばかりで、仕事を軌道に乗せるべくいろんな事を習っている段階で、ほとんど活動してなかった)関係がうまく行かないのは、相変わらず誰からも受け入れてもらえず、仕事もそんなにうまく行かない、変われないわたしのせいと思い込み、わたしはじぶんを責め続けていたんです。

結局そんな状態のわたしと付き合った人だったので、彼もわたしと同じように極度に自信のない人で、自ら主張するのがとても苦手な人だったと思います。

繊細なところも、じぶんを認められないところも、じぶんを嫌いなところも同じだったので、彼はうじうじしているわたしにじぶんを観て、すごく嫌だったんだなと、今は分かります。

でも当時はそんな事は一切分かってなかったので、一生懸命サポートしたり、彼もヒーリングの仕事が出来るように、自信を持てるように一緒にセミナーを開催したりして、常に彼を立てる努力ばかりして

彼より活躍したらダメ

と言う思い込みまで健気に作って、余計負のスパイラルに陥っていました。(余計ウザかったでしょーな)

でもわたしは、人の本来の良さを引き出して、励まし続ける事が仕事です。
じぶんが毎日辛くて不幸だなんて、1ミリも表には出せないわ、と当時は信じていたので、実は不幸だということも罪悪感になって、わたしはさらにじぶんを苦しめて行きました。

そんな訳なので、三重苦、四重苦くらいの中で、毎日を過ごしていました。

結局その彼との暮らしは、半年くらい頑張ったものの、アッサリと終わってしまいました。

でも当時のわたしはそれでも彼の事が好きだったので、

「わたしがしっかりして、今よりもっと稼げるようになったら、また一緒に住めるかもしれない!!」

と一途に想い、なんとか一人で頑張って仕事を始めました。

でも前にも書いたように、稼げないじぶんをわたしは常に責めていたので(稼いでいてもそれを一切評価せず、もっと稼がなきゃダメと常にスパルタに思っていた)

こんなんじゃ生きてても意味ないし、わたしには何の価値もない。おまけに好きな人ともうまく行かないなんて、今人生が終わりに出来たら楽で良いのにな、と泣いてばかりの日々でした。

もちろん死ぬ勇気なんてなかったので、毎日かろうじて生きてましたが、死んでるに等しいくらい無気力で苦しい日々でした。


でも、そんな状態のわたしでも、常にわたしを頼って、観て欲しい!

と、わたしを必要として下さるクライアントさんたちに、あの頃どれだけ救われて、育てて頂いたんだろうと思います!本当に有難かったです❤️


死ぬほど辛くはありましたが、大好きな彼にフラれたお陰で、これほど腹の底から変わりたい!と思えた事もなかったので、一生懸命じぶんを観ながら仕事にも精を出しました。

にも関わらず、こんなに一生懸命じぶんと毎日向き合っても、相変わらずわたしの現実は、大して変わることはありませんでした。

やっと変われるかも!と思うとすぐ元に戻る、この繰り返しでした。

「じぶんの力で生きるとかじぶんを主張して生きるなんて恐ろしくて無理だから、絶対変わりたくない!どうせわたしはどうやってもダメな人間だから幸せになんてなれないんだ。」

結局、深い意識ではそう思っていたから、どんなに変わりたいと頭で願っても、変わる為の行動をしても、本当に変わる事を、わたしは拒否し続けたのです。

わたしはサイキックです!と言う主張をして(サイキックとか変わってるから余計言いたくなかった)、じぶんの責任で生きることは、(観えない世界にどうやって責任取るの?とビビっていた)わたしには本当に怖かったんです。

でも大事なことは、良い悪いではなく、なぜこうなるに至ったか?を観る事です。

思い込みは人それぞれに、そうなるに至った理由があるからです。

だから変われないじぶんを責める必要は全くないんですが、その理由ときちんと対峙する勇気が、わたしはいつまで経っても持てなかったのです。

でも当時のわたしは、そんな事は理解できなかったので

「なんでこんなに変わりたいと思ってるのに変われないの??」

「なんでわたしはこんなに不幸なの??」

「なんでわたしは何をやっても変われないの???」

「わたしの魂は呪われてるの???」

と、果てはギャグみたいなことまで本気で信じていたほどです。

そして、本当に人生のどん底にいて、人生に本気で絶望していました。


そんなわたしがどうやって、このかわいそうな想いに気付いて、今のように変われたかと言いますと…

それを話すにはまた話が飛んでしまうので、続く…↓

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